都議会議員退任後、田中晃三は、後進の皆さんが取り組んでいる「安全」「安心」をはじめとする諸課題解決のお手伝いを力いっぱい行なっております。


「地方議員の手記(都議会時代)」を刊行

「地方議員の手記(区議会時代)」を刊行

菅原神社境内社建替えをご支援

叙勲祝賀会を開催

叙勲の栄誉に浴して

都議会議員退任のご挨拶

ヒートアイランド学会設立総会クロージングスピーチ

 

「地方議員の手記(都議会時代)」を刊行(2008年8月)

「地方議員の手記(都議会時代)」昨年末に「地方議員の手記(都議会時代)」と題するA5判218ページのささやかな印刷物(非売品)を刊行いたしました。対象となる期間は、34年余の地方議員活動の三分の二を占める、昭和56年(1981年)から平成17年(2005年)までの都議会議員時代、24年間です。

「大衆に根をおろした政治活動を」という強い思いから当時の板橋区自民党に愛想が尽きた私は、熱烈な応援を勝手連的にしてくださった方々のお助けを得て、都議会議員選挙では極めて希な無所属での当選を果たしました。
そして、最初の約3年間は統一会派「民主クラブ」、その後は同クラブから快く送り出してもらえた「自民党」に所属する都議会議員の一人として、6期連続で板橋区民の方々をはじめとする都民の方々の幸せと生活福祉の向上に努めてきました。

加えて、3期目には所属会派「都議会自民党」の総務会長、4期目には幹事長、5期目には東京都議会議長として、他会派との折衝も含めて鈴木俊一・青島幸男・石原慎太郎の歴代知事が進める東京都政に議会側から深いかかわりを持つことになりました。
今回の印刷物に収録した諸原稿を読み返してみて、また巻末に取りまとめた「年表」に目を通してみて、産業経済社会が地球規模で激動する中で首都の発展とそこで暮らしておられる方々のお役にいささかなりとも貢献できた、と自らの都議会時代の活動を総括できることを心からうれしく思っております。

本来であれば、この印刷物をご支援いただいた皆様お一人お一人に感謝の気持ちを込めてお届け申し上げるべきところですが、それは物理的にも不可能なことですので、「区議会時代編」と同じようにPDFファイル化して当ホームページに掲載をさせていただきました。
一般には下記の項目をクリックされると該当するページ群をご覧いただけますが、そうでない場合には
http://www.adobe.com/jp/products/acrobat/readstep2.html
よりアドビ「アクロバットリーダー」を無料でダウンロードするなどしてご覧ください。

 

はしがき(2.0MB)

もくじ(1.7MB)

民主クラブからの出発/参議院議員選挙福祉党八代英太候補の応援
(昭和56年7月〜、1.9MB)

都議会本会議一般質問・代表質問(昭和57年3月〜平成17年3月、3.7MB)

都議会自民党総務会長の記録(平成2年8月〜3年8月、5.7MB)

都議会自民党幹事長の記録(平成6年8月〜7年7月、12.9MB)

東京都議会議長の記録(平成9年8月〜11年9月、14.0MB)

都議会議長を終えてからの記録(9.9MB)

都議会の思い出(16.1MB)

あとがき(1.0MB)

議員歴・年表<前半>(9.8MB)

議員歴・年表<後半>(10.3MB)

 

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「地方議員の手記(区議会時代)」を刊行(2008年1月)

「地方議員の手記(区議会時代)」昨年前半に「地方議員の手記(区議会時代)」と題するA5判139ページのささやかな印刷物(非売品)を刊行いたしました。対象となる期間は、34年余の地方議員活動の冒頭三分の一にあたる、区議選への準備活動が始まった昭和45年(1970年)から都議選出馬で辞任することとなった昭和56年(1981年)までの、11年間です。

養父の後継者として区議選に立候補せざるを得なくなった私は今でいう「大企業をスピンアウトした理系ベンチャービジネス経営者」であったわけですが、後援者の皆様と一緒に区民の方々との対話を重ねている間に「大衆に根をおろした政治活動の重要性」について明確に認識できる政治家志望者に変わり、当選後は区政改革について折に触れて自らの見解を発表する数少ない地方政治家の一人となりました。

今回の印刷物に収録した諸原稿は「インターネットもブログもない時代に戦中派の地方政治家が紙ベースで発信していた諸情報」と言い換えることができますが、内外の情勢が大きく変わった今読み返してみて、当時の区議活動の背後にあった私の問題意識が今日でも胸を張って公表できるものであることを心からうれしく思っております。

本来であれば、この印刷物をご支援いただいた皆様お一人お一人に感謝の気持ちを込めてお届け申し上げるべきところですが、それは物理的にも不可能なことですので、この度、PDFファイル化して当ホームページに掲載をさせていただきました。
一般には下記の項目をクリックされると該当するページ群をご覧いただけますが、そうでない場合には
http://www.adobe.com/jp/products/acrobat/readstep2.html
よりアドビ「アクロバットリーダー」を無料でダウンロードするなどしてご覧ください。

 

はしがき(1.9MB)

もくじ(1.3MB)

私の見たアメリカ印象記(昭和45年9月20日〜10月8日、7.2MB)

私の区政だより(昭和46年4月〜47年9月、2.2MB)

田中晃三の区議会本会議質問(昭和46年9月〜56年3月、3.9MB)

ヨーロッパあれこれ(昭和47年10月3日〜17日、13.2MB)

カナカの村(昭和50年9月28日〜10月1日、6.9MB)

区民タイムス(昭和51年4月25日号〜昭和52年1月10日号、4.8MB)

我が中国の旅(昭和53年4月5日〜14日、3.5MB)

私が見た中東(昭和53年8月23日〜9月3日、7.6MB)

あとがき(0.8MB)

 

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菅原神社境内社建替えをご支援(2006年12月)

12月22日(金)、私が責任総代を務めさせていただいてきた、「我が街の氏神」である成増・菅原神社境内に古くから置かれていた稲荷社(写真左)、愛宕社・日枝社(写真右)について遷座式を執り行いました。

これは菅原講講員の皆様とご一緒に「稲荷社、愛宕社、日枝社建設委員会」を設けて進めてきた三社の新築建て替えが無事完了したためであります。

 

私が長年にわたって区政、都政で活動でき、旭日中授章までいただけた陰に菅原神社のご加護と菅原講講員の皆様のご支援があったことは明らかですので、「ご恩にお報いしたい」という気持ちから三社の新築建て替えにあたってはできる限りのご支援をさせていただきましたが、このささやかな善行が「敬神崇祖の涵養」に役立ち「地域社会の健全な発展と子弟の教育」につながれば、と強く念じております。

 

なお、菅原神社は「学問の神、厄除けの神」、稲荷社は「商売繁盛、開運の神」、愛宕社は「防火防災の神」、日枝社は「開運招福、一家繁栄の神」で、右の地図右下の東武東上線・成増駅からは徒歩10分のところに位置します。
成増地域の皆様のみならず、各地域の皆様のお参りを心から願っております。

 

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叙勲祝賀会を開催(2006年4月)

4月9日(日)に、田中晃三の「旭日中授章」叙勲祝賀会を、目白・椿山荘オリオンの間において行いました。
当日は、数多くの国会議員、自治体首長、都議会議員の先生方をはじめ、1000名を超える皆様にお集まりをいただきました。お忙しい皆様が会場内に立錐の余地もないほど集まられた光景には、田中晃三も感激ひとしおでありました。本当にありがとうございました。

 
石原・自民党東京都連会長ご挨拶「第一部:式典」では、石原伸晃自民党東京都連会長をはじめとするご来賓の方々からのご祝辞をいただき、ご参会の皆様からの記念品と花束を頂戴した後、田中晃三から「感謝の言葉」を申し述べました。
 

田中晃三ご挨拶「感謝の言葉」の要旨は、(1)平素は公私にわたって温かいご指導ご鞭撻を賜り厚く御礼申し上げます、(2)私は、平成17年11月3日に地方自治功労によって天皇陛下より旭日中綬章を授与されましたが、これも偏に皆様方の多年にわたるご指導ご支援の賜と深く感謝申し上げます、(3)顧みると、昭和46年以来板橋区議会議員として3期10年、昭和56年より東京都議会議員として6期24年、併せて34年余地方自治に携わり、区政・都政から住民の皆様の生活福祉の向上と地方自治の伸長発展にいささかお役に立たせていただきましたが、この間、板橋区東京都も大きく変貌し、目ざましい発展を遂げてきました、(4)私は「政治は生活のすべてです」と「汗とまごころの都政」を基本姿勢に据え、「初心生涯」を心がけて、精一杯仕事をしてきましたが、これからもこの栄誉に恥じることのないよう一層精進し、貴重な経験をいささかでも社会にお還ししたいと考えるので、今後ともご指導ご鞭撻をお願い申し上げます、というものでした。

なお、田中晃三は、この中で、当然のこととして発起人の皆様、後援会幹部の皆様、国会議員・区長・都議会議員・区議会議員の先生方とその後援会の皆様、官公庁と町会連合会・産業連合会商店街連合会など各種団体の皆様からのご助力に対して御礼の言葉を申し述べましたが、併せて、「政治活動を総括する集いでもある」ということで、同窓生・親戚・会社従業員・秘書団・家族といった「身内」の人々への謝意に初めて言及し、会場からひときわ大きな拍手をいただきました。

 

また、「第二部:祝宴」では、鏡開きの後、「成増チルド連」の子供さん方などによるアトラクションが続く中、田中晃三はご来場いただいた数多くの皆様と親しくお話をさせていただきました。

 

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叙勲の栄誉に浴して(2005年11月)

菊花薫るの候 皆様には益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。 さて私は、この度、はからずも秋の叙勲(内閣府「日本の勲章・褒章」)で旭日中綬章の栄誉に浴し、去る11月9日、赤坂プリンスホテル「五色の間」において勲記勲章の伝達を受け、皇居に参内して「春秋の間」におきまして親しく拝謁の栄を賜わり、夫婦共々感激の極みでございました。
これもひとえに皆様方の多年にわたる暖かいご指導ご支援の賜、と深く感謝申しあげる次第であります。
これからもこの栄誉に恥じることのないよう一層精進いたし、貴重な経験をいささかでも社会にお還し申しあげる所存でありますので、今後ともご指導ご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

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都議会議員退任のご挨拶(2005年8月)

盛夏の候 皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。 さて私は、この度、7月22日を持ちまして東京都議会議員の任期を無事に終らせて頂きました。あらためて6期24年間の長きにわたり、一方ならぬご指導ご支援を賜り、お蔭さまで大過なく務めを終える事が出来ました事を心より感謝申し上げます。有難うございました。
これからはお世話になりました皆様とのご縁を大切にして誠を尽くして参ります。今後とも宜しくお願い致します。

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ヒートアイランド学会設立総会クロージングスピーチ(2005年7月)

皆様方には公私なにかとお忙しい中、日本ヒートアイランド学会設立総会にご出席頂きまして誠に有難うございます。
また只今はご来賓の先生方からご丁重なご挨拶とご激励を賜り、学会が指向するヒートアイランド対策に極めて適切で貴重なご提言など深い感銘をおぼえた次第であります。
地球資源のとめどない浪費は、地球温暖化を加速し、大都市にヒートアイランドと言う大都市特有の熱環境汚染を生み出し、人びとの健康や生活を脅かしております。私事になりますが、私は平成元年、都立科学技術大学の渡辺茂学長を介して斎藤武雄先生を紹介され、ヒートアイランドなるものを初めて学ぶ機会にめぐまれました。
平成元年の夏は今年のように猛暑が続きました。年平均気温も平均値より1.7度も高く、その原因が地球の温暖化と関係があるのではないかと取り沙汰されたほどでありました。私は、早速、平成2年7月、都議会において「平成3年4月に有楽町より新宿に移転する超高層の新庁舎は職員1万3千人を含む3万人余の新たな人口が新宿に生まれ、業務活動の活発化に伴い、これらの人工熱は東京の都市気候変化を促し、人体、生物等に少なからず影響を及ぼすものと懸念されることから、新都庁舎の新宿移転前後の東京のヒートアイランド現象を調査すべきこと」を求め、大都市東京のヒートアイランド対策について、初めて都政から警鐘を鳴らしたものであります。
また平成11年3月、私は都議会議長として「ヒートアイランド現象への対応に関する意見書」を議決いたしまして、内閣総理大臣をはじめ関係大臣に地方自治法に則り同意見書を提出し、政府に対して「ヒートアイランド現象の発生のメカニズムの解明、将来推計などの研究に着手すること」などを強く要請いたしました。その翌年、東京都の具体的なヒートアイランド対策が開始されました。
東京都の取り組みについては後程シンポジュウムに於いて環境局木村計画調整課長から詳しくお話があろうかと思いますが、平成12年4月には「緑化指導指針」を改定して屋上等の緑化指導を開始いたしました。ついで、その年の12月に「緑の東京計画」を策定してヒートアイランド現象を緩和するための緑からの取り組みを屋上緑化、地上部緑化、農地・河川等の保全に求めております。ついで平成14年8月には全庁的な「東京都ヒートアイランド対策推進会議」を設置し、これにより平成15年3月に「ヒートアイランド対策取り組み方針」を策定いたしまして、庁内各局が一丸となって効果的に取り組むため、今後の対策の方向性が定められ、環境都市東京の実現に向けて最大限の努力がなされております。このような時、日本ヒートアイランド学会の設立は誠に時宜を得たものとして心から歓迎するものであります。学会のご発展を心から祈念いたしまして閉会の挨拶と致します。

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